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土屋千春氏について 土屋千春氏が執筆された 「半原物語」は歴史書として 正確な史実と資料によって記載されており、 現在、半原に残された 貴重で唯一無二の書である。 雅に、御氏がこの書を執筆されなかったら 半原の歴史は掘り起こすことは永久に 不可能となっていたであろうと思う。 残念なことに、氏は故人となられている。 「半原物語」は、こちら 現在はアーカイブを取り、 二重に保存・バックアップされている。 「半原物語」はB5サイズ152ページの大作であり 一冊3部構成となっている。 第一部 半原の七不思議・ 濃州循行記・廃仏毀釈・ 操り人形浄瑠璃・御神霊三本檜・御鍬様御巡行 日吉神社・半原の医者・紙谷の天神様・ 秋葉様・半原学校・半原人物史 第二部 古い道・庄屋様・半原人物史・ 半原の俳人歌人・ 電灯がともった話・方言・ 操り人形浄瑠璃・半原寿会 第三部 半原人物史・半原音頭・日吉音頭・ 御詠歌会・三十三体観世音・古文書・ 昔の暮らし・絵本太功記と明智熙子・ 日吉郷土史・照玉社 について詳細正確に記載されている。 この中の「昔の暮らし」では、貰い風呂・ お蚕様・瞽女(ごぜ)・捨て針(鰻釣り)・ 水との付き合い・ヘボすかし・ 鳥屋(とや)、について書いてある。 土屋千春氏の略歴 (「半原物語」末項より引用いたしました。) 大正6年(1917) 岐阜県瑞浪市日吉町半原に生まれる。 土岐津尋常高等小学校入学、 多治見尋常高等小学校卒業。 恵那中学校入学、東濃中学校卒業。 東京府豊島師範学校卒業。 昭和11年(1936) 東京・深川尋常小学校に新任、 四谷区四谷第二小学校 (後、山梨・下部町へ疎開) 昭和21年(1946) 岐阜・長良小学校へ転任。 昭和26年(1951) 多治見市教育研究所・ 多治見市教育委員会指導主事。 瑞浪市教育委員会指導主事・ 瑞浪市教育研究所員。 昭和31年(1956) 土岐市方言調査を始める。 昭和33年(1958) 市教育委員会より 「郷土のうつりかわり」を発刊 昭和35年(1960) 瑞浪・明世小学校に校長として新任、 日吉第一小学校長、 釜戸中学校長、瑞陵中学校長。 昭和42年(1967) 勤続30年表彰。 昭和51年(1976) 瑞浪市永年勤続表彰として銀杯受領。 昭和52年(1977) 定年退職。 中部工業大学付属高等学校 日本史の講師として2年間教鞭をとる。 平成7年(1995) 勲五等雙光旭日章を授与される。 老人会長として、半原物語を執筆、 老人会で配布する。 |
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